Gado-Gado vs Pecel Lele

3 Juli 2010

漢字の使い方

同じ訓読みのことばでありながら異なる漢字を使うものがある。これは、もとからの日本語では同じ語が中国語(漢字・漢語)では異なった語を使うためである。

あう
合う・・・(合致/がっち)あてはまる・ひとつになる-----答えが合う。服が合う
会う・・・(面会/面会)ひとにあうーーーー直接会って話す。会うは別れのはじめ
遭う・・・(遭遇/そうぐう)ひどいめにあうーーー事故に遭う。災害に遭う

あがる・あげる
上がる・上げる
ーーー(上昇/じょうしょう)下から上に行くーーー物価が上がる。成績が上がる
揚がる/揚げる------(掲揚/けいよう)水中や空中の高いところに行くーーー花火が揚がる。てんぷらを揚げる
挙がる/挙げる-----(挙行)もちあげて見せるーーー犯人が挙がる。全力を挙げる。

21 Maret 2010

Japanese-English-Indonesian

私は会社員です
I am an employee
Saya seorang karyawan

山田さんも会社員です
Mr. Yamada is also an employee
Pak Yamada juga seorang karyawan

私は学生でした
I was a student
Saya dulu adalah pelajar

これは本です
This is a book
Ini buku

本はどれですか
Which is the book?
Yang mana buku?

これは私のです
This is mine
Ini adalah milik saya

面白いです
It is fun
Menarik

事務室にコピー機械があります
There is a copy machine in the office
Di ruang kantor ada mesin fotokopi

そこにテレビがあります
There is a television over there
Disitu ada televisi

池に魚がいます
There is a fish in the pond
Di kolam ada ikan

学生はどこにいますか
where is the student?
Pelajar ada dimana?

私は来週福島へ行きます
I am going to go to Fukushima next week
Minggu depan saya akan pergi ke Fukushima

先生は毎日朝七時に学校へ行きます
My teacher comes to school at seven o'clock every day
Guru saya datang ke sekolah jam 7 pagi, setiap hari

14 Maret 2010

Indonesia is my Country


インドネシア共和国(インドネシアきょうわこく)は東南アジア南部に位置する共和制国家。首都はジャワ島に位置するジャカルタ5,110kmと東西に非常に長く、また世界最多の島嶼を抱える国である。赤道をまたがる18,110もの大小の島により構成されるが、この島の数は人工衛星画像から判別したものであり、正確な島の数はインドネシア政府すら把握していない。また、世界第4位の人口を擁し、23千万人以上の人が住んでいる.
島々によって構成されている国家であるためその広大な領域に対して陸上の国境線で面しているのは、ティモール島東ティモールカリマンタン島(ボルネオ島)マレーシアニューギニア島パプアニューギニア3国だけである。海を隔てて近接している国は、パラオインドフィリピンンガポールマレーシアオーストラリアである。

言葉と民族
最用語インドネシア語であり、インドネシアの国語と なっている。会話言語ではそれぞれの地域で語彙も文法規則も異なる583以上の言葉が日常生活で使われている。インドネシア語が国語と言っても、日常で話 す人は多くて3,000万人程度で国の人口比にすると意外と少ないが、国語になっているため第2言語として話せる人の数はかなり多い。また、首都ジャカル タに出稼ぎにでる人も多い為、地方の人でもインドネシア語は必須であり、話せないと出稼ぎにも影響が出てくる。  インドネシア語識字率:88.5%2003年)。
最多数がマレー系で、彼らがインドネシア人の直系の祖先であり、原マレー人と新マレー人の2種類に分けられる。原マレー人は、紀元前1500頃 に渡来した。原マレー人は先住民よりも高度な文化を持っていた。しかし、後から来た新マレー人によって追われていくが、ダヤック人、トラジャ人、バタック 仁として子孫が生存している。新マレー人は、マレー人、ブギス人、ミナンカバウ人の祖先であり、紀元前500年頃に渡来した。渡来時には青銅器製作の技術を獲得しており、数百年後には鉄器を使用し始める。彼らの使用した機器がトンキン湾のドンソン地方で大量に発見されていることから「ドンソン文化」と呼ばれる[9]
他に約300の民族、中国系5%
ジャワ人 45%スンダ人 14%マドゥラ人 7.5%沿岸マレー人 7.5%、 その他 26%
父系・母系を共に親族とみなす「双系社会」であり、姓がない人もいる(スカルノスハルトなど)。

宗教 
インドネシアは憲法29条で信教の自由を保障している。パンチャシラでは唯一神への信仰を第一原則としているものの、これはイスラム教を国教としているという意味ではない。インドネシアは多民族国家であるため、言語と同様、宗教にも地理的な分布が存在する。バリ島ではヒンドゥー教が、スラウェシ島北部ではキリスト教(カトリック)が、東部諸島およびニューギニア島西部ではキリスト教(プロテスタント、その他)が優位にある。
最新の統計(ブリタニカ国際年鑑2007年版)によると、イスラム教76.5%キリスト教13.1%プロテスタント5.7%、独立教会4.0%カトリック2.7%、他)、ヒンドゥー教3.4%、伝統信仰が2.5%無宗教1.9%、その他が2.6%となっている。
イスラム教徒の人口は、17000万人を超え、世界最大のイスラーム教徒ムスリム)人口を抱える国となっている(インドネシアは世俗主義を標榜しており、シャリーアによる統治を受け入れるイスラーム国家で はない)。ただし、イスラームはジャワ島やスマトラ島など人口集中地域に信者が多いため、国全体でのイスラーム教徒比率は高いが、非イスラム教徒の民族や 地域も実際には多い。カリマンタン島やスラウェシ島ではちょうど、イスラム教徒と非イスラム教徒の割合が半々ほど。東ヌサトゥンガラから東のマルク諸島、 ニューギニア島などではイスラム教徒比率は一割程度である。(それもジャワ島などからの移民の信者が大半である。)またイスラム教徒多数派地域であって も、都市部や、スンダ人、アチェ人地域のように比較的、厳格な信仰を持つものもあれば、ジャワ人地域のように基層にヒンドゥー文化を強く残しているものも あり、また書面上はイスラム教徒となっていても、実際にはシャーマニズムを信仰している民族も有る。
  • イスラーム
  • ナフダトゥル・ウラマー
  • ムハマディア
  • ジュマア・イスラミア
  • プサントレン

26 Januari 2010

The SOMA NOMAOI Festival



SYUTSUJIN

after the syutsujin ceremony has been performed at each of the Myoken Jinja, Taisho gives the order for the Shutsujin. Upon the sign from Jingai (a shell blown at the start) and the flag, the Shutsujin gets under way

Shutsujin/Soma City and Minami Soma City (Haramachi-ku and Odaka-ku)
The Shutsujin takes place at each of the Soma Nakamura Jinja, Soma Ota Jinja and Soma Odaka Jinja. After praying and bottoms up, the preparation is complete and the Taisho gives the order for the Shutsujin. Upon the sign from soldiers furihata, the Kaikyaku loudly blows the kai, and the Shutsujin gets under way






Soutaishou-Omukae /Minami Soma city (Kashima-ku)
Arround 100 Kitagosei samurais come to meet the general Taisho on a Nagata, Join up with the Utagosei, form a procession and head to wards the kitagojinya to meet the general Taisho. As the meeting of the general Taisho ceremony is based on the old ceremony, there is a noticeable tension around the Kitago Jinja as the message from the general Taisho is relayed in detail by the hayauma.
When the general meeting of the Taisho ceremony is finished, the Utago and the Kitagosei troops head towards the Hibarigahara-Saijochi

Yoinorikeiba/Minami soma city (Haramachi-ku)
At 2 o`clock in the afternoon at the Hibarigahara Saijochi, After the Babakiyome ceremony and on the blowing of the jinggai by the kaiyaku, samurais wearing old style riding gear of white headband, jinbaori and nohakama take part in the yoinorikeiba, consisting of 12 laps of 1000 meters each

OGYORETSU
All the marches and signals are conducted by the traditional jingai and jindaiko. The army of 500 plus samurais majestically approaches the Gohonjin
At 9:30 in the morning, when the Jingai - Jindaiko ring out and the fireworks from the cannon split the air, the samurais who have gathered around the Ogawa Bridge in the north of haramachi-ku head off to Hibarigahara Saijouji (3 km). First with the Nakanogo (Haramachi-ku)force, which at the Soma Oota Jinja, at head, The Odakago (Odaka-ku), the Shinehago (Namie Machi, Futaba machi, Ookuma machi) follow, in the Shingari come the Kitago (Kashima-ku), Nakamura Jinja, march towards the Gohonjin.
 


Clad in the Kachu passed down from their ancestors, the sight of the 500 plus samurais lined up in a majestic, spectacular battle scene is a truly incomparable highlight, not finished.

KACCHU KEIBA
The traditional kacchu keiba, where man and horse race as one through a could of dust, bringing to life a battle scene of samurais brave and bold.
At noon, when the Jingai - Jindaiko ring out, the young warriors remove their kabuto and tighten their white hachimaki, flying the ancestral hatasashimono, rideing horse in the otsuboryu and man and horse fly through the wind as one as the Kachukeiba starts.
The sound of the flags fluttering in the wind, the sound of the armour and kusasuri clanging together, the sound of the hooves kicking up the earth. A harmony of noise running through a cloud of dust. A scene of power and emotion. The Kacchu - Keiba consists of 10 horses running 10 laps of 1000 meters. passion




data from www.city.minamisoma.lg.jp



23 Januari 2010

Gudeg Indonesia



ジャワ島中部のジョクジャカルタには、(グデ)と呼ばれる名物料理があります。グデは、ナンカ(英語名はジャックフルーツ)という果物を、ココナッツミルク、クルウェック(木の実からできた香辛料)、チークの葉と一緒に煮たものです。チークの葉を一緒に煮るので黒っぽい色になります。グデは通常ご飯と鶏肉、卵、豆腐の甘煮、サンバル(チリソース)などと一緒にお皿に盛って食べます。グデには、グデークリン(濃いココナッツミルクを使用)や、グデーバサ(ココナッツミルクを使用)、グデーソロ(色が白っぽい)など、いろいろな種類があるんですよ
この料理は、色が黒いので始めて食べる日本人の方は少し驚くかも知りません。でも、甘くて美味しいですよ。ジョクジャカルタの町を散歩すると必ず沢山グデ売りに出会うことになります。ジョクジャカルタ周辺の住民にとって、グデは欠かせない料理です。
朝は、おかゆと一緒に食べ、昼はご飯と一緒に、夜はグデ・バサと汁が多いグデを食べるのが普通です。
もしジョクジャカルタにいらっしゃる機会があれば、ぜひ名物料理ぐでを召し上がって見て下さい。



International Mass In Sendai

元寺小路教会でインターナショナルミサに参加して(九月二十七日)

わたしはあなたがたを友と呼ぶ


9月27日(日)、元寺小路教会で仙台中央地区6教会合同のインターナショナルミサがささげられ、500人ほどが参加した、このミサのテーマはわたしはあなたがたを友と呼ぶ(ヨハネ15:15)からとられた、ミサはエメ 神父、このミサは、様々な外国人がいって色々な外国語で神様に賛美して、とても素敵なミサだと思います、私はこのミサの中に共同祈願の読む人に選ばれ、インドネシア語で皆の前に祈りました、そのほかはスパイン語や中国語やフィリピン語でお祈り人もいました、このミサに参加して神様にコムニケションとは国や言葉で限らないと感じました、




では、その「友」とは何でしょう。「わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である」(ヨハネ15:14)と告げますが、命を捨てるのが イエスである以上、イエスを愛する弟子、信徒、そして読者こそが、イエスの友であるということになります。イエスの言うように、愛することを行うならば、 友と呼ぼうと言います。「もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない」(ヨハネ15:15)というのです。


友は、僕と対比されています。僕は、時に奴隷と訳されうる語ですが、言いなりになる奴隷というイメージで捉えてよいのかどうかは疑問です。ローマにして も、ヘブライ文化にしても、奴隷という立場は、極端に虐待されていたというのとはまた違うように見受けられます。召使いのように捉えるとよいとも言われま すが、ここで私は現代的に、「ビジネス」という概念をもってこようと思います。もはや、ビジネスでつながるような関係ではない、と考えるのです。「僕は主 人が何をしているか知らない」(ヨハネ15:15)というのは、とりあえず言うことに従っておけば、自分の利益を中心に据えていながら表面上だけ相手の顔 色をうかがうような関係です。ビジネスでは、腹の底を見せるようなことはしません。しかしイエスは従う者たちに、「わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から 聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである」(ヨハネ15:15)と言ったのです。


弟子がイエスと同じ神になる、などということではないのです。神が人となった、というのは間違いないのですが、神が人と同じ地位に堕ちた、ということで もありません。地位や立場の違いは歴然としておきながら、それでも、本音で語り合うことのできる関係が築かれた、というところをイメージしてみたいので す。


そのミサの説教の中で一番気にいってるのは神は、私たちがもてなしてもらいたいように隣人をもてなすことを促しておられます。私たちが、この地上の短い道程を共に分かち合う人たちの人生をより良くしていくために、愛し、仕え、出来る限りのことをするように私たちを促しておられます。他人に仕えることで、私たちキリスト信者の共同体の単なる日常性が改められるばかりではなく、私たちの共同体のきずなやつながりが豊かなになっていきます。人々がお互いの違いを脇においてひとつの共通の目標に向かい、共に犠牲を払うことに同意した時に、壁は打ち壊れ、協力が容易となり、そして全て可能となるです。最後に、次のことを思い出しましょう。私たち一人ひとりが皆、神の子としての豊かな品位に恵まれ、他人の中にそれを認め合い、私たち全てが家族やキリスト信者共同体へ同じ愛を求め共に充実した人生を生き抜いて、その完成に向かっていることを{わたしはあなたがたを友と呼ぶ}

8 Januari 2010

A Calendar of Words Seasonal words for December


  Another term for December is shiwasu. It is
written
“monks run” in kanji characters, because December is a
busy season when even monks who are usually calm and
composed must make haste to get things done. During
this month, many people hold year-end parties, or
bonenkai, and paint the town red as they get together
and look back on the year that is about to end.
O-misoka is a seasonal word for December, referring
specifically to December 31st, the last day of the year.
Japanese companies are normally closed during the
year-end, and most people spend those days preparing to
usher in the coming year. It is typical for the entire
family to gather, eat toshikoshi soba (year-end soba
noodles), and quietly listen to joya no kane (midnight
tolling of the temple bells) together, on O-misoka.
Toshikoshi soba are eaten on O-misoka, in hopes of
good fortune, continued health, and longevity in the
coming year. The joya no kane begins late at night on
O-misoka and continues into the first few seconds of the
new year, and symbolizes the casting away of man’s 108
earthly desires of the old year prior to welcoming in the
new.


As the end of shiwasu draws near, people greet each
other with the phrase, “yoi otoshi wo” (have a good new
year). As it is a widely-used phrase that celebrates the
coming year, you might like to try using the greeting “yoiotoshi wo” in parting this year.